なぜ?どうして?鯉のぼりをあげない地域があるの

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なぜ?どうして?鯉のぼりをあげない地域があるの

鯉のぼりと空

のぼりをあげたことにより、敵軍に見つかってしまった。
鯉は神の使いの2つの説があった!



そもそも5月の端午の節句に鯉のぼりをあげるのってどういう意味?

もともと端午の節句は、2300年前の中国からやって来た風習で
黄河の急流に竜門という滝があって、その滝を登ろうと
たくさんの魚が挑戦したのですが、見事、登れた魚が鯉だけで
あったという言い伝えが元となって、男の子の出世を願う意味で
あがられるようになりました。

鎧と兜

また、鯉はどんな環境でも生きていける生命力が強い魚というところから
どのような環境でも生き抜いていける逞しさや、立派に大きくなって
もらいたい、立身出世という意味も込められています。

また、武家社会では男の子が生まれると家紋入りの旗やのぼりを
たてる習慣があり、庶民は家紋がなかったので
のぼりに縁起物の鯉の絵を描いてたてました。

1,000年以上伝わる風習。鯉のぼりをあげないのはそれぞれ理由が

鯉のぼりをあげるのは、日本全国の風習と思って来たのですが、
あげない地域も、存在していました。

1つは、「平家の落ち武者伝説」と呼ばれているものです。

平家の里

昔、源氏と平家が戦った壇ノ浦の戦い(1185年)というものがありますが、
その時に敗れた平家の落人が、全国に逃げ延びました。

ある者たちは、日光市の栗山郷にたどり着き、追手に見つからないように
ひっそりと生活していましたが、そこで新たに男の子が誕生しました。

ひっそりと生活はしていましたが、跡取りとなる男の子が生まれたということで
ささやかながら、あまり布でのぼりを作りかかげたところ、
追手に見つかり、ひどい目にあってしまい更に奥地へと逃れることとなりました。
この時に流れ着いた場所が、栗山郷と言われているそうです。

そして、このことをきっかけに端午の節句であっても鯉のぼりをあげなくなったのです。

二つ目は、「平将門」(たいらの まさかど)伝説です
埼玉県の北西部の矢納地区(神泉村)というところでも
鯉のぼりをあげないという風習があります。

こちらも、戦がらみのお話なのですが、平将門が城峯山(矢納地区)に
いる時に、この地区の家で鯉のぼりをあげたため所在がわかってしまい
戦いに敗れてしまったという言い伝えがあるそうです。

また、この地区で鯉のぼりをあげるとその家に不吉なことが起こる
と、いう言い伝えが代々伝わっているそうです。

三つ目は、大井神社(京都府亀岡市大井町)の伝説です。

こちらは、御井神(ミイ神)と市杵島姫(イチキシマヒメ)が
大堰川(今の保津川)を亀に乗ってさかのぼって来たのですが、
保津峡付近の急流を登れず、鯉に乗り移って川をさかのぼって来たという伝説です。

大井神社の氏子さんたちは、鯉が神の使いということで
端午の節句は鯉のぼりをあげないということです。

最近では、鯉のぼりをあげている家が少なくなりましたね。

住宅環境や、電線などの事情もあるようですが、
家族構成がわかってしまうという理由で、鯉のぼりをあげないという家もあると聞きます。

なんだか、言い伝えとは別の意味で人に知られないようにする感じですね。

まとめ

昔話って、子供の頃に聞いているとなんだか面白いような、ちょっと怖いような、
そんな迷信や言い伝えなどを守っていくことも必要なことかもしれないですね。

自分たちの地域にも、何らかの言い伝えや風習が自分では普通と
思っている行事が実は他とは違っていたなんてあるかもしれませんね。

そんな事を、探しながら日々を過ごしていくのも面白いかもしれません。

こんなに、時代が進んでも言い伝えを守り続けるって、なんだかとても
神秘的で素晴らしいことだと思いませんか?

ちょっと、地域の年配の方や自分の祖父母に昔話を聞いてみたくなりました。
私たちも、子供たちに残してあげられる言い伝えがあるといいな。




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