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お彼岸のことわざ!暑さ寒さも彼岸まではいつから?言葉の意味は!?

お彼岸に咲く曼珠沙華!彼岸花!
「暑さ寒さも彼岸まで」ということわざはよく耳にします。
何気なく聞いたり使ったりしているこのフレーズの本当の意味は知っていますか?
この「彼岸まで」というこの彼岸は、何を指しているのか?
一体いつ頃のことを指して言っているのか?
「暑さ寒さも彼岸まで、と言いますが・・・」のようにこのフレーズは時候の挨拶によく使われていますが、わたしたちも言葉の意味を知った上できちんと使っている人は少ないです!
答えは、仏教用語なんです!
彼岸と此岸に関係してます!
根拠は?暑さ寒さも彼岸までっていつのこと?春と秋にあるお彼岸の時期!
お彼岸は春彼岸と秋彼岸があり、
「春分の日」と「秋分の日」
を挟んだ前後3日間の計7日間がお彼岸の期間なんです!
春分の日と秋分の日の日程は国立天文台が作成する
に基づいて、毎年開催される閣議によって決められます。
毎年2月1日に翌年の日程が決められるので、2年後以降の日程は推測できますが確定できない日にちなんですが・・・
つまり今年の春分の日は3月21日でしたので、彼岸の入りは3月18日で彼岸明けは3月24日となり、
また今年2018の秋分の日は9月23日なので彼岸の入りは9月20日で、9月26日は彼岸明けとなるのです。
春分の日と秋分の日は昼と夜の長さが同じになる日ということ!
それが過ぎるとだんだん、夜が長くなってくる、日照時間が短くなってきます。
3月21日の春分の日辺りになればだんだんと春に近付いていきその厳しい冬の寒さも目処が付く頃。
また秋分の日を境に日が短くなっていきますので、太陽が出ている時間が短くなっていくということで暑さも和らいでいくということになります。
日照時間が少ないということは、地表の温度も上がっても時間が短いためすぐに下がるということです。
つまり秋分の日辺りになれば夏の厳しい暑さがやっと落ち着くというメカニズムですね。
このような意味合いから「暑さ寒さも彼岸まで」と言われているのです。
お彼岸に関することわざ!暑さ寒さも彼岸までの意味はこういういう意味だった!

仏教徒との関わり
前述した通り
「暑さ寒さも彼岸まで」
の意味は、現実的に夏の暑さや冬の寒さが彼岸頃には落ち着くという言葉のままの意もあります。
しかしその季節のことわざとして捉えるのではなく、仏教の法話に通ずる意味合いもあるんです。
そもそもお彼岸は、仏教用語のサンスクリット語の
インドでお釈迦様がいた時代に使われていた言葉
「波羅密多(パーラミター)」
般若心経に出てくる言葉で般若波羅密といいます。
他にも色んな経典にも使用されています。
漢字になっていますが、インドから中国の唐時代に伝わり、漢字に置き換えると「波羅密多(パーラミター)」になります。
般若波羅密多の意味合いは、「完成する・成就する」という意味を持っています。
仏教で言えば欲や煩悩から脱して迷いの無い悟りの世界へ到達することが出来るということを表すのです。
仏教ではご先祖様のいる極楽(あの世)を彼岸(ひがん)といい、わたしたちの生きている煩悩に満ちた世界を此岸(しがん)といいますが、
彼岸は西の方(極楽浄土)日本から見ると、インドの方を指します。
此岸は東(日本)東の果ては(極東)日本に位置しています。
彼岸と此岸の間には極楽浄土に続く一本の細い道がのびていて、その両側に火の河と水の河が渦巻いており、その火の河は怒りや憎しみの意味があり、水の河は欲や執着の心を表しているとされています。
日本では、わたしたち人間はその一本の細い道を様々な欲や煩悩、迷いや怒りを断ち切りながら歩いて行くものなのです。
このお彼岸の期間は太陽が真東からのぼり真西に沈むので彼岸と此岸が真っ直ぐに通じやすい日だと言われ、その時期に先祖を供養することで極楽浄土に行けると考えられていたそうです。
欲や煩悩に惑わされたり迷いや悩みに苦しんだりしているわたしたち人間は、この彼岸の時期は悟りの世界と通じやすい日であるので、様々な悩みや苦しみ、辛さも彼岸の頃には楽になるだろうというように、時が過ぎれば辛いことも落ち着くものなのだという意味も持っています。
「暑さ寒さも彼岸まで」ということわざは、どんなに辛いことや大変なことが続いていても、ある時期を過ぎれば治まるし楽になるから頑張って乗り越えて行こうと励ましていることです。
言葉の中に季節のうつろいだけでなく、人生の背景という深い意味が込められているのです。
余談ですが・・・
釈迦が広めた仏教には、極楽や地獄はありません!
これだけは覚えておきましょう!
「波羅密多(パーラミター)」は般若心経にも書かれています、このお経本には無の境地が書いてあって、此岸から彼岸に達せれば此岸から彼岸に向かえば悟りの世界に行けるということが書いてあって、
実はこの般若心経もお釈迦様が書いたものでもありません。
この世もあの世も、悟りの世界では、苦痛も熱いも、五感も今見えているものは全て生きているからであって、何の苦しみもない痛みもない五感もない世界が悟りの境地
彼岸で此岸はこの世という意味!
実は仏教は釈迦には10人の弟子がいて、釈迦の死後、仏教徒が釈迦の口伝を残そうとして、文字として書いて残したのが経典になっています。
全て教えられたとおりは残しているでしょうが、余計なものも尾ひれをつけて残っているかもしれませんね。
【まとめ】
わたしたちは「暑さ寒さも彼岸まで」と、移ろい行く季節を感じながら慣用句として度々口にしています。
このことわざにはそのままの意味合いもありますが、この奥には仏教の教えに基づいた「人生は色々あるけれど、時期が過ぎれば必ず乗り越えられるから頑張ろう」というように励ます意味合いも含まれているということです。
喉元過ぎればなんとやら・・・
その時が苦しいのであって、苦を乗り越えれば、なんていうことはない!
今も昔も、人間の悩みなんて、まったく変わっていません!
文明が明るくなっただけで、人間の精神世界はまったく、昔から同じ悩みを持っているということを理解しておきましょう!
そして、暑さ寒さも彼岸までの言葉を、季節の流れを五感で感じて時間の流れを感じ、日々、一所懸命に生きることを念頭に頑張ろうではありませんか・・・
昔よりも気候が変化してなかなかこのことわざ通りの季節感を感じられなくなっているかと思いますが、これを機会にお彼岸と自分の生き方の繋がりについて考えてみるのもよいですよ!